いちいち年代をウィキペデェイアで調べて
思い出を拭うようなことはしないので
間違えているかもしれないけど、確か中学2年くらいの時。
『寄生獣』なるマンガを友人の家で読んだ。
確か友人の兄が所有している本だったと思う。
オレ自身はジャンプでは物足りなくなり
マガジン、サンデーを読み始めるが
ヤンジャン、ヤンマガ、
ましてやアフターヌーンなどは背伸びをしても届かなった。
音楽で言う洋楽のようなもので
背伸びをして届くところまで手伝いしてくれる存在なしでは
なかなかたどり着けない。
その友人宅で知った本がほかにも何冊かあり
『ドラゴンヘッド』や『エンジェル伝説』などがある。
しかし、どれも最後まで読んだ記憶がなかった。
最近の放射能の報道や
ふとした会話などででる「エコ&エゴ」などから
なぜか『寄生獣』を読みたくなった。
あとがきから1990年ごろから1995年の連載のようだが
連載当初は今ほどエコロジーが流行ではなかったという
文章が目を引く。
最後まで読んで以前にも読んだことがあったのを思い出したが
ミノタウロスの皿に通ずるものがあり、
物を考えるときに根底にあるものが
そもそも正しいのかどうかを訴えかける作品。
それに加え、子殺し、同族種の殺しあいなど
なんのために生きているのか?
という問いが何度も出てくる。
確かに今の世の中は便利になりすぎてるのも過剰だし
もっとシンプルでいいのではないかと思う
その反面、より富を得て子孫に回すというのも
DNAの中に組み込まれたものなのかと思う。
なにをやるにしても「なんとなく」が一番まずい
いや、意図とした「なんとなく」なら問題ないのか…。
きりがないやめよう。
個人的には広川の存在と
自衛隊の特攻体長的なヤツの名前が山岸だったのにやられた。